古典的な話題。
人工知能はどこまで人間に近づけるか。ヒューマノイドは作れるのか。
どこまでハードウェアが精緻になっても、どこまで天才的なコードが組み込まれても、最終的には人間とは同じにならない。たとえ「経験」や「記憶」をデータとして準備してシステムに組み込んでも、人間だけが持つ、不合理なノイズのようなものが、人工的には再現できないコードのかすかなもつれのようなものが「意識」を生み出しており、完全な人間にはならない。
というのは、映画「攻殻機動隊」シリーズで押井守氏が提示しているモデル。その「人間にしかないノイズのようなもの」を、「ゴースト」と呼び、本当の人間の「ゴースト」をシステムに組み込むことをめぐる物語が展開される。「ゴースト」を得たシステムは意識を持ち、それがネットワークの中に息づくのかも、というお話。
いや、「ゴースト」なんて関係なくて、与えられた外部からの刺激に生身の人間が示す反応を悉く模倣するシステムがあったら、それはもはや人間とは区別がつかないではないか。それが意識を持つ持たないに関わらず、生身の人間が示す反応と同じ反応を示すのであれば、傍目にはそのシステムは人間とどう違うというのか。
というのは、映画「ブレードランナー」で登場する「レプリカント」呼ばれたヒューマノイドみたいな存在。機械なんだけど、究極まで人間を模倣するので、人間とレプリカントを区別するのは容易じゃない、という設定だった(ような気がする)。
思うに、高度に可塑性のある(たぶん有機的な)人工知能を備えたシステムがあって、それを実際に「育てて」みたら、本格的に人間に近い人工知能を作ることができるんじゃないだろうか。押井守氏の提案するような「ゴースト」を収容できるシステムで、かつそれに成長が可能であったら、そのシステムをあたかも子どものように育てていけば、完全な人工知能になり得るのではないか。だれかボランティアを募って、システムを養子にしてもらうの。そのシステムを収容するハードウェア—身体ーにどんな形を与えるのかも思案のしどころになるだろうけど、とにかく、赤ちゃんのシステムを普通の赤ちゃんと同じように扱って、何年もかけて育ててみたら、それはもう人間の意識と同じものを宿すかもしれない。
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と、ここまでぼんやり夢想して、気付いた。外部刺激を記憶し経験を積むせること、そして成長させることが人間と遜色ないヒューマノイドを作る方法だとしたら、そのヒューマノイドは死を意識するのか?
もしかして、人間が人間であること、どこまで精緻に作られても機械であるところの人工知能と人間が同じでないことの根拠は、人間が有限の時間を意識していることなのではないだろうか?
スピルバーグの映画「A.I.」で登場する子ども型の愛玩ロボットは、いつまでも子どものままだったね。でも、経験を積み、記憶を増やしていくことができる。昔を思い出したり、懐かしんだりする「感情」を持つ。そんな愛玩ロボットは、長く可愛がっていたらどうなるんだろうか? あの映画では愛玩ロボットは8歳だか10歳だかの男の子の形状をしていたけど、そんなロボットを10年、20年と可愛がったらどうなるのだろうか。8歳の子どものくせに、20年の人生経験を持つ状態というのはあり得るのだろうか。あの映画では、愛玩ロボットは経験を積み、記憶を蓄えていくことができるように見えたけど、そうだとしたら、成長してしまうのではないか。大人になってしまうのではないか。経験を積み、記憶を蓄え、知識を得ていくのに成長しない、という設定が可能なのだろうか。残念ながら「A.I.」では、そんなところまで描いてはいなかったですね。
「銀河鉄道999」の主人公・鉄郎は、永遠の命を可能にする機械の体を手に入れるため銀河を旅する。しかし、機械の体をタダでくれる星に到着したところで、機械の体を手に入れることを止める決断する。生きていることは、有限の時間を意識すること、永遠の命を可能にする機械の体を手に入れてしまうと、それはもはや生きていることにはならないのではないか、と考えた(んじゃないかと思う。原作者の松本零士さんの考え、なわけだけど。)。
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人間に限りなく近いヒューマノイドとは、成長し、いすれ死んでしまうシステム、という定義はどうだろうか。
しかし、これってなんだか「生きている」ということはどういうことか、という定義に近いよね。
要は、人間に限りなく近いヒューマノイドとは、人工の生き物、人工生命体である、と言ってるに近いな。
仏陀は、「生」「病」「老」「死」を誰も決して逃れることのできない四つの苦しみとして挙げた。命あるものが絶対に避けられない現実。ということは、逆に言えば、この四苦を逃れているものは、命がないものとも言える。
完全なヒューマノイドは、人工の生き物であるとすれば、このヒューマノイドは四苦を実感するのだろうか。
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ぼやぼや考えるだけで、なんの結論も出ていないんだけど、人工知能の研究が認知科学や心理学、哲学と切り離せない関係にあるのは分かったよ。
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